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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)512号 判決 1963年11月29日

控訴人(原告) 榎村君子 外一名

被控訴人(被告) 大阪府知事・国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等は「原判決を取り消す。被控訴人両名との間で、被控訴人大阪府知事が原判決添付目録記載の土地につき昭和二三年七月二日を買収期日としてなした買収処分は無効であることを確認する。被控訴人国は右目録記載の土地につきなした昭和二三年七月二日を買収の時期とする買収処分による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人大阪府知事は適式の呼出を受けながら本件の当審第一回口頭弁論期日に出頭しないので陳述したものとみなした答弁書の記載によれば主文と同旨の判決を求めているのであり、被控訴人国は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張証拠の提出援用認否は、

控訴人等において、

本件買収処分の結果によれば、元来買収の対象から除外されている土地の外に控訴人等において保有する農地面積は六反歩未満となるのであつてこのような結果に帰する本件買収処分は当然無効の行政処分というべきである。

と述べ

(証拠省略)

被控訴人等において、

(一)大阪市城東区天王田町二丁目四三番地の田二反一畝九歩につき被控訴人等が原審においてその中約五畝歩の部分が非農地であることを自認したことはない。右土地は二反一畝九歩の全面積に亘つて二ノ湯重五郎が小作していた農地であつてその一部分といえども宅地の部分は存しない。右土地の中約五畝歩の地上に戦時中から陸軍の倉庫が建てられていた事実はない。陸軍の倉庫が建築せられていた土地は隣接する同町二丁目四四番地の土地である。四四番地の土地は右四三番地と運河に挟まれ、四三番地よりなお面積が広い土地である。右倉庫というのは運河岸端から四、五米の距離をおいて四、五棟建てられていたが、総坪数は約二〇〇坪のものであつたから約六四〇坪若しくはそれ以上の面積を有する前記四四番地内に建築してなお十分の余裕があり、右両番地の土地に跨つて存在していたものとは考えられないところである。(二)同町二丁目五番地田二反六畝一八歩につき、その土地面積約八〇〇坪の中約一五〇坪上に木造長屋建家屋が建築せられていたことは認めるが、右建物の敷地部分を除いた約二反の土地は農地であつて竹田政喜、二ノ湯重五郎及び加藤某の三名が土地所有者である控訴人等先代滝三から借受けて小作していた土地である。(三)同区白山町五丁目二番地の田八畝三歩の土地は元来凹地であつて戦争前にはその中約二畝歩が塵芥捨場に使用されていただけで放置されていたが戦後になつて食糧の缺乏に伴い整地のうえその全範囲が耕作に供されるようになり、竹田政喜、二ノ湯重五郎及び前記加藤某の三名が滝三から借受けて小作していた土地である。(四)同区鴨野本町六丁目八五番地田七畝一九歩の土地は昭和三〇年頃に宅地に転用されるまではその全部が農地であつて二ノ湯重五郎と竹田政喜がこれを小作していた土地である。(五)同区天王田町二丁目二五番地田一反四畝七歩の土地につき、被控訴人等が原審において控訴人先代の自作地であることを自認したことはない。同区永田東一丁目一二番地田八畝一二歩が滝三の自作地であることは認める。右二五番地田一反四畝七歩の土地は高低二段に区分せられた農地であつて、高い方の約三畝歩の部分は竹田政喜が小作し、爾余の部分は二ノ湯重五郎が小作していた土地である。(六)同区北中浜町五丁目二〇番地田四畝二七歩及び同所二番地田八畝二八歩の各土地につき、被控訴人等が原審において滝三の自作地であることを自認したことはない。右二〇番地の四畝二七歩の土地は三由寅吉が滝三から借受けて耕作していた小作地であるし、右二番地の八畝二八歩の土地は南北に区分せられた土地で南側は宅地であつたが北側の二畝歩は水田であつて三由寅吉が小作していた土地であるから右二筆の土地の中合計六畝二七歩は滝三所有の小作地であつた。(七)同区北中浜町七五番地田九畝六歩の土地は水田の部分と畑の部分とに区分されていたがその全部を宮城庄太郎が滝三から借受けて小作していた土地である。本件買収当時控訴人先代の所有農地を耕作していた西村国吉、竹田政喜、宮城庄太郎及び前記加藤某等はいずれも滝三の承諾に基き適法に小作していたものであつて、この事実は右四名が当時いずれもいわゆる榎村家出入のものであり、同人等が戦後の農地改革によつて右土地等従前の小作地の売渡しを受け得ることになつた際滝三が自ら右四名のために手続上必要な買受申込書を作成してやつたことに徴しても明かであつて、控訴人等主張の増田幸三郎が滝三に雇われて前記農地の耕作をしていたのは太平洋戦争の始まる以前のことであつたのである。

次に被控訴人大阪府知事が控訴人等先代から本件買収をするにあたり被買収者の保有地として滝三に保留せしめた土地は、すべて適法な権原に基く小作人等が耕作していた小作地であつて、控訴人等主張のようにその先代の自作地とは認められないものであつたことは前記のとおりである。そして控訴人等先代のようないわゆる在住地主所有の小作地が、都市計画法に基く区劃整理が施行せられ、府知事が自創法第五条によつて買収除外地として指定した土地の区域内にあるため買収の対象とせられなかつた場合においては、右小作地面積をも当該地主の保有面積に包含せしめて算入すべきものである。蓋し自創法第三条第四項の規定の反対解釈として、同法第五条によつて買収対象から除外せられた農地の中同条第七及び第八号に規定し命令で定める農地は同法第三条第一項第二号又は第三号に規定する小作地又は自作地の面積に算入すべきものと解釈するのを相当とするからである。控訴人等はいわゆる在住地主に一定の小作地の保有を認めた自創法の法意は、地主の生活保障及び将来自作農となる機会を付与するに存するところ、若し将来宅地に転換せられること必至の小作地をもその保有限度面積に包含算入せしめることになれば、自創法の前記の精神は水泡に帰する結果となるから買収除外指定地域内の土地は農地として取扱うべきものでなく、すべて宅地と同視すべきものであると主張するけれども、いわゆる在住地主が買収除外指定地域内所在の小作地所有権を保有したからといつて、将来右農地を当然に自作するものとは限らないから、控訴人等の自創法の法意に関する右主張は独自の見解にすぎないというほかなく、また自創法第五条第四、第五号に定める買収除外指定区域内所在の農地であつてもこれを宅地に転換するためにはなお当該都道府県知事の許可等法定の手続を経ることを要するのであるから、買収除外指定の一事に基き指定の時から取扱上農地を宅地と同視しなければならない理由はなく、控訴人等の右主張は失当であつて、結果において六反歩以上の小作地を控訴人等先代に保有せしめてなした本件買収処分は適法であつて何等の瑕疵を帯びるものではない。

と述べた。

(証拠省略)

外原判決の事実記載と同一であるからこれを引用する。

理由

原判決添付目録記載の土地(別紙目録記載ハの(二)の土地。以下本件土地と略称する。)につき大阪市城東区農地委員会が自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条に基き昭和二三年四月二七日に、買収の時期を同年七月二日とする買収計画を樹立し、被控訴人大阪府知事が右計画に基き右所定の買収時期の直後所有者榎村滝三に対して買収令書を交付して本件土地の買収処分(以下本件買収処分という)をしたこと、右買収処分当時榎村滝三が本件土地の外別紙目録記載イ、ロ及びハの各土地を所有していたこと、これらの土地がいずれも所有者榎村滝三の住所と同一最小行政区劃の地域内に所在していて、各土地との関係においていわゆる在村地主に該当するものであること、本件土地の外別紙目録記載ハの(一)、(三)乃至(七)の土地(本件土地を含めてその面積合計は四反二九歩となる。)が大阪府における在村地主の小作地保有限度面積の六反を超える面積の小作地として自創法第三条第一項第二号により買収せられたこと、榎村滝三の所有地中別紙目録イ及びロの各土地については、その中一筆も買収処分が行なわれなかつたこと、並びに榎村滝三が昭和三〇年七月一〇日死亡し控訴人両名が共同遺産相続したこと、はいずれも当事者間に争がない。(尤も控訴人等はその主張において上記ハの各土地を農地と表示するのみで、それが自創法第二条第二項所定の小作地である旨明示の表現を使用せず、また右土地中本件土地等ハの各土地が同法第三条により買収せられたというだけで同条第二号によるものであることまでは明示しないけれども、右買収処分につき在村地主の保有限度面積が六反である場合に該当する旨主張していること、その他本訴弁論の経過に徴するときは、その主張の趣旨とするところが「前記ハの(一)乃至(七)の土地全部が榎村滝三の小作地として自創法第三条第一項第二号により買収せられた」というにあることが客観的に明白と認められる。)

そして本件買収処分当時榎村滝三がその住所所在区域内において所有していた前記イ、ロ及びハの各土地の合計面積は一町八反九畝四歩となるから、その中に六反を超える面積の自創法第二条第二項にいう小作地があれば、政府は同法第三条第一項第二号により右超過面積の小作地を買収すべきものであるが、右合計面積中に含まれる前記イ及びロの各土地がいずれも都市計画による区劃整理の施行せられる土地の境域内にあり且つ大阪府知事の指定によつて、自創法上その第五条四号により第三条の買収から除外せられるべきものと定められている土地に該当することは当事者間に争がないところ、控訴人等は自創法第三条第一項第二号により買収すべき小作地面積の存否及びその範囲の判定をするについては、先ず当該農地所有者の所有小作地中前記買収除外例に該当する面積はこれを除外控除したうえ残余の面積についてそれが六反を超えるか否かを認定すべく、六反を超える面積が存する場合にのみその超過部分を買収すべきものであると主張する。しかしながら大阪府下においてその住所所在の最小行政区劃と同一区域内に六反を超える面積の小作地を有する農地所有者(いわゆる在村地主)が、自創法第三条第一項第二号により政府の買収にも拘らずその六反を引続き保有し得るのは、同法第三条第一項第二号に基く行政処分の直接且つ本来の目的たる事実状態、若しくは国との関係における法律関係、として形成せられる結果ではなくして、同法第三条第一項第二号が在村地主所有の小作地を買収するための一般的要件としてその小作地の全面積が六反を超える場合であることを定め、その超過面積部分のみを買収すべきものとしたことの事実的反射的効果にすぎないものと解せられるのであつて、同法第三条第一項第二号は決して政府が在村地主による六反以下の小作地の所有を認証したり許可認可を与えたり、或は六反以下の小作地の保有を行政上確保するための措置を積極的に講ずべきことを定めたものでないことがその法意に照らして明かである。これに対し同法第五条第四号は、特定の在村地主の保有小作地につき、同法第三条第一項第二号所定の買収の一般要件を適用すれば、六反を超える面積を所有するものとしてその超過面積部分を買収すべきものとなる具体的場合に、若しその保有小作地中に同法第五条第四号所定の買収除外指定境域内に存在するものがあれば、その買収すべき超過面積相当の現地の選択決定をしたり、それについての買収計画を樹立し現実に買収処分を行うについては、買収除外地以外の範囲の現地につき行なうべきものであることを定める趣旨であつて、右第五条第四号は第三条第一項第二号の適用を前提とする具体的な場合の買収計画の樹立及び買収処分の手続を規制する規定であると解せられる。

したがつて、特定の在村地主に対する農地買収に際し、その保有農地につき自創法第三条適用の前提として先ず同法第五条第四号を適用し、所定の買収除外地域内に含まれる面積の有無を検してその含まれるものを控除除外し、その残余の面積につき始めて同法第三条を適用すべきものというに帰する控訴人等の右主張は採用するを得ないところである。したがつて榎村滝三が在村地主として所有していた前記一町八反九畝四歩の全面積につき、自創法第三条第一項第二号による政府の買収処分は、その中に六反を超える面積の小作地を所有する場合にその超過面積について適法になし得べきものである。そうだとすれば榎村滝三の在村地主としての保有限度面積の侵害の有無に関聯して、前記買収農地の中本件係争のハの(二)の田九畝一七歩に対する本件買収処分の当然無効なりや否やを決するためには、結局右買収にあたり処分庁が前記イ及びロの各土地の合計面積中に既に在村地主の保有最高限度面積を充たす六反の小作地が含まれているものとした認定に関し、果して重大且つ明白な瑕疵が存したか否かを決定しなければならないものと解せられる。そこで以下において前記イ及びロの各土地につき前記買収処分当時それが農地の状況にあつたものであるか否か、その農地と認められる土地につきその利用形態に従いこれを小作地と認定することが相当であるか否かを検討する。

(一)  成立に争のない甲第一号証、原審における証人竹田政喜の証言、当審における証人二ノ湯重五郎の証言(但し後記の信用しない部分を除く)並びに当審における控訴人榎村君子本人尋問の結果(但し後記の信用しない部分を除く)によれば、別紙目録記載イの(一)、(二)及び(三)の各土地は公簿上その地目が田として登載せられていたに拘らず、前記買収処分当時には既に全部埋立を完了し地上には建造物が存在し、宅地としての従前の使用状態が継続せられていて現実に耕作が行なわれているわけでなく、また直ちにこれを耕作に使用しうるような土地の状況でもなかつたが、その後に至り右地上にあつた建物が取毀されたまま放置せられている中に戦後の窮迫した食糧事情に促されて甘薯畑等耕作に供せられるようになつたものであることが認められ、原審における証人二ノ湯重五郎、当審における証人浅野卯之助及び西村国吉の各証言中、いずれも右三筆の土地が既に昭和二三年中に耕作に使用せられていた旨の部分は、前記甲第一号証、当審における証人二ノ湯重五郎(但し後記の信用しない部分を除く)、竹田政喜及び松田金蔵の各証言並びに弁論の全趣旨に照らして信用することを得ないから、前記買収処分当時右三筆の土地は、自創法第三条第二条所定の農地には該当しない土地であつたものというべきである。(二)当審における検証の結果と原審における証人竹田政喜及び当審における証人二ノ湯重五郎(後記の信用しない部分を除く)の各証言によれば、別紙目録イの(四)の土地は昭和一八年頃以来三由寅吉が耕作しており、その後食糧事情が窮迫してきてからは竹田政喜が所有者榎村滝三の明示の承諾もないまま自家の食糧補給のためその一部を耕作し、終戦後間もない頃から二ノ湯重五郎も控訴人方家族の食糧補給を主たる目的としてその一部を野菜畑として耕作していたことが認められ、またイの(五)の土地は、そのほぼ中央部の約二畝は竹田政喜が水田として耕作し、爾余の部分は周囲の民家の塵芥捨場に供せられるままに放置せられていたけれども、元来この土地は戦災跡地の如く過去において宅地として利用せられていたという事跡もなく、現に地上における建物建築の具体的計画がたてられているわけでもなく、現に塵芥捨場となつている部分といえども地上の塵芥を取除くことはそれ程困難とも考えられず、その跡を整理して少くともこれを蔬菜畑として耕作の目的に供することは容易な状況にあつたことが認られる。前記甲第一号証中右イの(四)及び(五)の土地の現況に関し「既に大半埋立を了し近く宅地として建築使用せんとするもの。」とある記載部分も、建築資材労力等すべて極度に払底していた戦後の一般的経済事情(これは公知の事実である)を考え併わせると、単に土地所有者の主観的土地使用目的変更の意図を表明しているにすぎないと解せられ前記認定を左右するに足りないものと認められる。以上の認定によればイの(四)及び(五)の各土地はその全面積が自創法にいう農地であつたものと認められる。そして別紙目録ロの(一)乃至(七)並びに本件土地を含む同目録記載ハの(一)乃至(七)の各土地が本件買収処分当時農地であつたことは当事者間に争がない。そうすると榎村滝三が本件買収処分当時いわゆる在村地主として所有していた農地は前記イの(一)(二)及び(三)を除いた残り全部でその面積は合計一町三反六畝一一歩となる。そこで次にその中の小作地と認め得べきものの有無、その面積を検討する。

前記イの(四)及び(五)の農地は三由寅吉、竹田政喜及び加藤万四郎等が、イの(四)については少くともその中の約二反の範囲、イの(五)については少くともその約二分の一の範囲の土地の耕作作業に従事していたことは前記認定のとおりであり、当審における検証の結果、原審における証人二ノ湯重五郎(前記の信用しない部分を除く)、竹田政喜及び西村国吉の各証言、当審における証人二ノ湯重五郎(前記及び後記の信用しない部分を除く)、浅野卯之助(前記の信用しない部分を除く)、松田金蔵及び西村国吉(前記の信用しない部分を除く)の各証言と弁論の全趣旨を総合すれば、別紙目録記載ロの(一)の土地は一部を二ノ湯重五郎及び三由寅吉が、他の一部を竹田政喜が、ロの(二)の土地はその中の下水道敷の部分以外の約七畝の範囲を三由寅吉及び二ノ湯重五郎が、ロの(三)の土地はその約二分の一、四畝位の範囲を増田幸三郎、三由寅吉及び二ノ湯重五郎が、ロの(四)の土地は三由寅吉が、ロの(五)の土地はその中葦の生えている低湿地の部分以外の約三畝の範囲を西村国吉が、ロの(六)の土地は宮城庄太郎が、ロの(七)の土地は二ノ湯重五郎が、それぞれ自ら土地耕作の過程たる各種作業に現実に従事していたものであることが認められ、当審における二ノ湯重五郎の証言中右ロの(一)及び(五)(六)の各土地に関する部分及び当審における控訴人榎村君子本人尋問の結果の中右ロの(七)の土地に関する部分はいずれも爾余の前記各証人の証言と対比して信用し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。これに対し原審及び当審における前記各証人の証言、当審における控訴人榎村君子本人尋問の結果(前記信用しない部分を除く)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、榎村家は古くからの土着地主であつたが、滝三は自宅において医師を開業し死亡に至るまで医業に専念していたのであり、控訴人君子は主婦として家事を総括し日常自ら農耕作業に従事することは殆どなく、夫婦間の子についてもこれと同様であつて、終戦前後の食糧事情窮迫の時代においてさえ終始三由寅吉、二ノ湯重五郎、西村国吉等及び親戚や臨時の雇人の労務に頼つてその所有地から自家食糧の補給を計つていたこと、このような榎村家の状況はその居住地付近においては世人一般の周知するところであつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。以上の認定事実によれば、本訴において被控訴人等が控訴人等の自作地であることを自認する前記ロの(七)の土地八畝一二歩は除外するとしても、それ以外の前記イの(四)、(五)、ロの(一)乃至(六)の各土地については、現実にその農耕作業に従事している二ノ湯重五郎その他前記の者等が果して、土地所有者榎村滝三との雇傭関係に基き右作業に従事しているだけであつて耕作業務の主体はなお滝三であるというべき関係にあるか、若しくは現実の作業に従事するだけに止まらず、賃借権、使用貸借等土地使用の権限に基き自ら耕作経営の主体たる地位にあるか、又は所有者には無断で自己のために右土地を耕作の目的に供しているものであるか等、その内部関係の如何はともあれ、客観的には榎村滝三及びその家族以外の第三者がもつぱら耕作業務の主体たる外形において現実にこれを耕作の目的に供しているものと認められる状況にあつたものというべく、しかも原審及び当審における証人二ノ湯重五郎及び西村国吉の各証言の一部、当審における証人浅野卯之助の証言の一部、当審における証人松田金蔵の証言及び当審における前記控訴人本人尋問の結果の一部によれば、二ノ湯重五郎は、戦災によりその住居を失つたため終戦当時頃から以後数年間はその家族と共に控訴人方に住込み毎月一定額の給料を支給せられ単独で、または農繁期等で人手不足の折には榎村滝三の計算において臨時に他人を雇入れて、もつぱら控訴人方家人の食糧の補給確保を目的として滝三所有農地の耕作作業に従事し、その範囲においては耕作業務の主体はむしろ滝三自身であると認められる関係にあると同時に、他面二ノ湯重五郎がその名義で滝三から無償借受け直接二ノ湯の収穫のために自ら耕作していた他の滝三所有農地もあり、また西村国吉、三由寅吉及び竹田政喜等数人の者においても各自滝三の承諾を得て各自の食糧確保又は農業収益のために自ら滝三所有土地を耕作するかたわら、もつぱら榎村家の食糧確保のため任意無償で労務を提供し耕作作業の手助けをしていた農地もあつて、同人等が自ら現に農耕作業に従事している外形事実においては一様である農地の各々につき存する同人等と所有者滝三間の真実の内部関係の如何は、第三者において識別することがきわめて困難な状況であつたことが窺われるから、前記イの(四)及び(五)、並びにロの(一)乃至(六)の各農地、以上合計面積九反一畝一歩につき、その所在地の城東区農地委員会が本件買収処分における買収計画樹立に際し、その全範囲の面積をもつて自創法第三条第一項二号、第二条第二項にいう小作地たるものと認定したことは、右各土地をその現地に就き詳細具体的に調査観察すれば耕作の業務に供せられていると認めるのを相当としない土地部分があり、また各土地につき現実に自ら農耕作業を行つている前記の者等と土地所有者たる榎村滝三との当該土地利用に関する関係を調査判定すれば厳格には自創法第二条第二項に該当しない場合があることにより、このような真実の土地耕作の実態と齟齬する限度において瑕疵があるものとせられることを免れないけれども、それにも拘らず、このような瑕疵の存在が権限ある機関により特別な手続を経て有権的に認定せられることを俟つまでもなく一般人において社会生活通常の経過の裡に認識し得べきところとは到底認めることを得ず、したがつて右瑕疵はたとえ存在する場合においてもすべて明白性を欠くものと認められる。そうだとすれば前記農地委員会が小作地面積に関するその認定に基いてなした買収計画樹立並びに大阪府知事が右買収計画により本件農地等につきなした買収処分には何等無効の瑕疵は存せず、したがつてまた被控訴人国が右買収処分に基き本件土地につき経由した所有権移転登記は有効といわなければならない。

以上によれば控訴人等が亡榎村滝三の相続人として被控訴人大阪府知事に対し本件買収処分の無効確認を求め、被控訴人国に対し本件土地につき本件買収処分を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続を求める本訴請求はいずれも理由がないものとして棄却すべきものであり、また行政事件訴訟法(昭和三七年法律第一三九号、同年一〇月一日施行)附則第八条第一項によれば取消訴訟以外の抗告訴訟でこの法律の施行の際現に係属しているものの被告適格についてはなお従前の例によるものと定められているところ、本件のような行政処分の無効確認の訴(この訴が前記のその他の抗告訴訟に含まれることは同法第三条第一、四項により明かである。)につき行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)中取消訴訟に関する規定が、その中訴願前置、出訴期間等に関するものを除き類推適用せられるのであり、同法第三条の趣旨によれば無効確認の訴についても当該行政庁のみが正当な被告適格を有し国はこれを有しないものと解せられるから、控訴人等の被控訴人国に対し本件買収処分の無効確認を求める本訴請求は不適法として却下すべきものである。これと同旨の原判決は正当で本件控訴は理由がないから民訴法第三八四条によりこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎寅之助 山内敏彦 日野達蔵)

(別紙)

目録

イ、(一)、大阪市城東区天王田町二丁目四三番地 田 二反一畝九歩

(二)、同所          一五番地  田 二反二畝二歩

(三)、同所          一六番地  田   五畝一一歩

(四)、同所           五番地  田 二反六畝一八歩

(五)、同市同区白山町五丁目二番地     田   八畝三歩

ロ、(一)、同市同区鴨野東六丁目八五番地    田   七畝一九歩

(二)、  同区天王田町二丁目二五番地   田 一反四畝七歩

(三)、  同区永田東一丁目二〇番地    田   八畝一二歩

(四)、  同区北中浜町五丁目二〇番地   田   四畝二七歩

(五)、同所          二番地   田   八畝二八歩

(六)、      同町四丁目七五番地   田   九畝六歩

(七)、  同区永田東一丁目一二番地    田   八畝一二歩

ハ、(一)、同市同区天王田町三丁目五番地    田   三畝二六歩

(二)、同所         一五番地   田   九畝一七歩

(三)、      同町四丁目七番地    田   三畝一六歩

(四)、同所         一一番地   田   三畝一六歩

(五)、  同区北中浜町五丁目七番地    田   八畝一一歩

(六)、同所         七番地の一  田   八畝二五歩

(七)、同所         一四番地   田   二畝八歩

以上

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